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福岡地方裁判所小倉支部 昭和53年(ワ)442号 判決

原告

江藤収

外三四名

右三五名訴訟代理人

前野宗俊

中尾晴一

三浦久

吉野高幸

安部千春

高木健康

神本博志

田邊匡彦

池永満

住田定夫

配川寿好

被告

北九州市

右代表者水道局長

古本邦博

右訴訟代理人

松永初平

主文

一  被告は別紙認容額表記載の原告らに対し、同表合計欄記載の各金員と、これらに対する昭和五三年六月八日から各支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二〇分し、その三を被告、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は別紙請求額表記載の原告らに対し、同表合計欄記載の各金員と、これらに対する昭和五三年六月八日から各支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、北九州市若松区大字頓田所在の公の営造物である頓田第一貯水池(以下「本件貯水池」という。)の南側に位置する草場地区に居住していた。

(二) 被告は、本件貯水池を設置、管理している。

2  本件貯水池の嵩上げ

(一) 本件貯水池は、水源を遠賀川に求め、伊佐座取水場から揚水して一時貯留し給水する目的で昭和二七年設置された満水位一八メートル、有効貯水量三一〇万立方メートルのものである。

(二) 被告は、昭和四一年一〇月、本件貯水池の堤高を3.6メートル嵩上げし(完工昭和四三年一一月、以下「本件嵩上げ」という。)、その満水位を二一メートル、有効貯水量を四四〇万立方メートルに増強した。

3  原告ら居住地域の湿潤化現象の発生

本件嵩上げ後、原告ら居住地域は湿潤化し、床下に水が溜り、井戸水が溢れ、泥土化するようになつた(以下「本件湿潤化」という。)。

そのため、

(一) 原告ら所有各建物は、基礎部からの水分の上昇により、天井、壁、柱等に湿気が滞留して朽廃化が進行し、

(二) 押入、下駄箱、芋釜等在中の布団、衣類、靴、食料品等も異常な湿気により被害を受け、

(三) 原告らは、神経痛、関節炎、頭痛、腰痛、腹痛、肩凝り、不眠症、食欲不振、喘息、風邪、喉が悪い等の健康被害に悩まされるようになつた。

4  本件湿潤化の原因

本件湿潤化の原因は、本件嵩上げに伴い本件貯水池の水が堤防下から漏水したことによるものであるが、その根拠は次のとおりである。

(一) 本件貯水池と原告ら居住地域の位置関係

(1) 本件貯水池から原告ら宅の距離は次のとおりである。

原告大庭惠喜男宅(以下「大庭宅」という。)、

同江藤収宅(以下「江藤宅」という。)、同柴田治雄宅(以下「柴田宅」という。)、同山本健治宅(以下「山本宅」という。)、同有田綾子宅(以下「綾子宅」という。)は各約三五メートル、

同有田榮宅(以下「榮宅」という。)、同楢原重松宅(以下「楢原宅」という。)は各約七五メートル

同白橋勝宅(以下「白橋宅」という。)は約一二〇メートル

(2) 本件貯水池の堤頂及び平均水位、原告ら宅の標高は次のとおりである。

本件嵩上げ後の本件貯水池の堤頂は23.6メートル、平均水位は二一メートル(本件嵩上げ前の堤頂二〇メートル、平均水位約一七ないし一九メートル)、各原告方標高は、大庭宅約一五メートル、白橋宅約一二メートル、江藤宅、柴田宅、山本宅、綾子宅、榮宅、楢原宅各約八メートル前後であり、本件貯水池から原告ら居住地域に南下するに従い、標高は低くなつている。

(3) したがつて、原告らの居住地域は、本件貯水池が漏水すれば、その流水路に該当する。

(二) 本件貯水池の設置、本件嵩上げと湿潤化の顕著化

原告ら居住地域は、もともと乾燥気味の土地であり、生活用水の井戸水も不足していたが、本件貯水池の設置により湿潤化の兆をみせ、本件嵩上げ後湿潤化は顕著となつた。

(三) 排水工事と湿潤化現象の消失

被告は、原告らの苦情に対処して、昭和五〇年、本件貯水池と原告ら居住地域を遮断するようにU型側溝を設置し、昭和五二年から翌年にかけて、さらに一定距離を置いてU型側溝、集水管、導水管を設置して川へ排水する排水工事を施工した(以下「本件排水工事」という。)が、本件排水工事後、原告ら居住地域の湿潤化現象は消失した。

(四) 本件貯水池の漏水の物理的、土木的説明

(1) 本件貯水池の形式はフイルダムかつアースダムであるところ、水の浸透は堤体部、基礎、地山部、袖部に分類でき、一般に、堤体部以外の部分の浸透量が多く、袖部においては地山部を通して貯水池から下流に向う迂回浸透〔コア背部(地山)を通し、コア直下流に浸出する流れ〕が起こる。

(2) 本件嵩上げ(満水位一八メートルから二一メートル)により、一平方メートル当り三トンもの水圧が増大し、それだけ浸透圧が増大した。

(3) 被告は、本件嵩上げ工事の施工に当り、グラウト工法による地下浸透水の防止工事をなしたが、グラウト工法は元来注入場所が地下であることから真にそれが必要かどうかを正しく判定することが困難であるばかりか、その結果が成功したか否かを判定することは正しい判定以上に困難である。例えば、全間隙の完全な充填を確かめるようなことはあまり期待できない。したがつて、グラウト工法をなした事実から直ちに浸透が止まつたと結論付けることはできない。

(4) したがつて、本件湿潤化の原因は本件嵩上げによる浸透圧の増大にあると考えることは極めて自然である。

(五) 被告は、本訴提起前、本件湿潤化の原因が本件貯水池からの漏水であることを認め、次のとおりの行為をなした。

(1) 本件排水工事

(2) 本件湿潤化の被害者らに対する補償契約

一方、被告が実施した調査は次のとおりの間題点を有しているので、その結果は本件貯水池から漏水していないことの証左とはいえない。

(一) 井戸回復試験

(1) 井戸水の涵養状態に影響を及ぼす要素として、地表水の量、降雨量、下水量、地質、水脈が考えられるが、右各要素に対する考察がなされていない。

(2) 試験の対象が、本件湿潤化の被害を受けた四〇世帯のうち、大庭宅、白橋宅、楢原宅の各井戸のみで、少ない。

(3) 本件嵩上げ前の試験結果がない。

(4) 試験結果の裏付けとなる基礎データーが明らかにされていない。

(二) 本件貯水池の水位と井戸の水位の比較

(1) 生活用水に使用されている綾子宅の井戸を調査対象にしている。

(2) 大庭宅の井戸については昭和四八年五月以降、綾子宅の井戸については同年三月から同年八月まで、柴田宅の井戸については同年五月までにつき、調査がなされていない。

(3) 調査対象が少ない。

(4) 地下水への影響は、地下浸透水に比し降雨量の方がはるかに大きいところ、隆雨量を無視して本件貯水池の水位と井戸の水位を比較しても意味がない。

(三) 水質調査

(1) 調査時点が区区である。

(2) 水質は周囲の土質等に影響されるものであるところ、この点を無視している。

(3) 調査対象が少ない。

(四) 水道使用と地下水位上昇の比較

(1) 調査対象が少ない。

(2) 水道開栓をもつて井戸水を使用していないものと看做している。

右のとおり被告の調査には多くの疑問点があり説得力を持つものではなく、被告としては次の調査によるべきであつた。

(一) トレーサー法

(二) 聞込調査法

5  責任原因

前記のとおり、被告は公の営造物である本件貯水池を設置、管理しているものであるところ、本件貯水池から漏水し、本件湿潤化が発生し、原告らは被害を受けたものであるから、被告は、国家賠償法二条一項により、原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。

6  損害

(一) 慰藉料

前記被害に対する原告らの精神的苦痛を慰藉するには、原告らに対し別紙請求額表慰藉料欄記載の各金員をもつてするのが相当である。

(二) 弁護士費用

原告らは、本訴の提起追行を原告ら訴訟代理人らに委任し、福岡県弁護士会報酬規定の範囲内である別紙請求額表弁護士費用欄記載の各金員を支払う旨約した。

7  よつて、原告らは被告に対し、国家賠償法二条一項に基づき、別紙請求額表合計欄記載の各金員と、これらに対する右損害発生後である昭和五三年六月八日から各支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3のうち、原告ら居住地域の一部で湿潤化現象が発生し、被害が生じたことは認めるが、その余の事実は争う。

3  同4は争う。

本件湿潤化の発生は本件貯水池の漏水によるものでないことは、被告が実施した次の各調査結果から明らかである。

(一) 井戸回復試験

井戸回復試験とは、地下水の涵養状態や地下周辺地層の透水性を調べるための揚水試験の一方法であり、井戸を空にして湧水により元の水位まで回復する間の一時間当りの速さ(井戸回復速度)を比較調査するものである。

被告水道局工務部研究所(以下「研究所」という。)は、原告らの各井戸と本件貯水池水(満水位二一メートル)とは関係のない香山商店の井戸(北九州市若松区小竹二二四三所在、本件貯水池との距離五〇メートル、標高30.94メートル、井戸底の標高24.30メートル)を比較するため、昭和四八年二月、大庭宅、楢原宅の各井戸について、昭和四九年八月、白橋宅の井戸について井戸回復試験を実施した。

右結果は、別表1、別図1のとおりであり、大庭宅、楢原宅、白橋宅の各井戸の回復速度は香山商店のそれより遅く、井戸周辺の地下水の涵養状態も香山商店のそれより劣つていることが判明した。

原告ら居住地域が湿潤化するほど本件貯水池から漏水があるとすると、浸透圧によつて井戸回復速度は他地域の井戸と比較して当然速くなるはずであるが、右現象はないから、本件湿潤化は本件貯水池水によるものではないというべきである。

(二) 本件貯水池の水位と井戸の水位の比較

本件湿潤化が本件貯水池の漏水によるものであれば、本件貯水池の水位が上昇するとともに浸透力が増大するので、当然原告らの井戸の水位は上昇し、本件貯水池の水位が下降すれば、浸透力は減少するので、原告らの井戸の水位も下降するはずである。

然るに、研究所の調査結果は別図2のとおりであり、右現象はみられず、本件貯水池の水位と原告らの井戸の水位とは相関関係がない。

むしろ、原告らの井戸の水位と降雨量との関係をみると、強く相関していることが認められる。

(三) 水質調査

研究所は、本件貯水池、原告らの各井戸及び第三観測井(江藤宅南東に位置、以下「旧観測孔No.3」という。)の水質調査を行い、その結果は別表2のとおりであり、右結果を六成分(重炭酸イオン、塩素イオン、カルシウムイオンとマグネシウムイオンの合量、ナトリウムイオンとカリウムイオンの合量、鉄イオンとマンガンイオソの合量、電気伝導度)図に図型化し、それらを類型化することによつて水系を追跡した(別図3のとおり)。

右調査結果によると、下水、井戸水は本件貯水池水に比し殆どの成分が多い値を示し、硫酸イオンは少ない値を示しており、井戸水の水質図と下水の水質図を比較するとその水質は非常に酷似している。

原告ら居住地域は、調査当時、殆どが素堀ママり側溝であり、排水不良も重なつてそれが地下に浸透したものと思われ、井戸水と本件貯水池水とは全く無関係である。

(四) 水道使用と地下水位上昇の比較

原告らは従来から井戸水を生活用水として使用してきたものであるが、井戸回復試験結果から考察すると原告らの井戸の揚水可能水量は平均して一日当り0.30立方メートルである。この水量では一戸の生活用水としては決して豊かな水量ではなく、生活用水を井戸水のみに依存していた往時の井戸の水位は現在の井戸の水位よりもかなり低い位置にあつたことが想定される。

一方、原告らの水道使用の開始状況を調査すると別表3のとおりであり、綾子宅を除く原告ら七世帯については、その水道開栓日は大庭宅の昭和三三年一二月二四日を初めとし、楢原宅の昭和四四年二月一四日を最後にすべて水道使用が開始されており、右原告ら七世帯以外の草場地区居住者も殆ど同時期に水道使用を開始している。

井戸水の水位の調査(別図2)によると、水の使用が全くない旧観測孔No.3の水位は、昭和四二年一月一三日から昭和四三年二月一五日まで及び昭和四七年一一月一三日から昭和四九年三月一八日までの間の地面から水面までの深さが二五から七〇センチメートルと高く、大きな変化はないが、生活用水を井戸水のみに依存している綾子宅の井戸の水位は、地面から水面までの深さが六〇から三八〇センチメートルと変動が激しく、低い。右事実から裏付けられるように、使用していない井戸の水位は高く、あまり増減がないのに、使用している井戸の水位は低く、増減が激しい。

以上のことから、従来井戸を通じ多量に使用されてきた地下水が、水道の急速な普及により使用されなくなつたこと及び原告ら居住地域の排水路は、簡単な素堀ママり側溝が殆どで十分整備されていないことから、使用水道水が地下へ浸透していつたことにより、地下水位の上昇を招いたということができる。

原告ら居住地域の水道使用開始時期と本件嵩上げが一致したにすぎない。

(五) 止水工事の実施

被告は、本件嵩上げ工事の施工に当り、グラウト工法等最新の土木技術をもつて地下浸透水の防止工事を実施した。

グラウト工法は砂、砂利等の非粘土性土や亀裂のある岩盤又は軟弱地盤に各種の流動性材料を圧力注入して地盤を改良する工法であるが、その目的は(1)岩、地盤の止水、(2)岩、地盤に対する強さの付与或いは圧縮性の低減、(3)変状防止であり、貯水池の工事としては、土質の安定をはかるだけでなく、止水の効果をあげるためには、グラウト工法による施工が最適とされており、現在各地のダム建設において遮水方法として広く用いられている。

本件貯水池の場合、その地形や基礎岩盤等から他の工法では施工性に制約を受けるため、グラウト工法によるのが最適であり、その施工に当つてはセメントと薬液注入を併用して、堤体部、地山部、袖部及び基礎地盤からの漏水防止に努めたもので、その成果を確認している。

(六) 被告は、本件排水工事の実施及び本件湿潤化の被害住民と補償契約を締結したが、右は住民の福利のため、政治的配慮に基づくものにすぎない。

4  同5、6は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二本件湿潤化の発生等について

〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

1  原告らの各家族構成は次のとおりであつたこと。

(一)  江藤宅

原告江藤収、同江藤八重子、同江藤世志恵、同江藤智恵美

(二)  楢原宅

原告楢原重松、同楢原シズエ、同楢原章三、同楢原渉

(三)  大庭宅

原告大庭シズ、同大庭惠喜男、同大庭美保子、同大庭正義、同大庭昭

(四)  白橋宅

原告白橋勝、同白橋セツコ、同白橋郁昭、同白橋穂積

(五)  榮宅

原告有田榮、同有田トミ子、同矢羽田千寿美、同有田栄子、同有田英二

(六)  綾子宅

原告有田綾子、同有田洋道、同有田清美

(七)  柴田宅

原告柴田ヒノエ、同柴田治雄、同柴田タミ子、同柴田美恵、同柴田加代子、同柴田理治

(八)  山本宅

原告山本健治、同山本艶子、同浜田恵子、同山本俊昭

2  本件嵩上げ後、原告ら居住地域は湿潤化し、床下に水が溜り、井戸水が溢れ、泥土化するようになつたこと。

3  そのため、

(一)  原告らが所有又は居住する各建物は、基礎部からの水分の上昇により、天井、壁、柱等に湿気が滞留して被害を受け、

(二)  押入、下駄箱、芋釜等在中の布団、衣類、靴、食料品等も異常な湿気による被害を受け、

(三)  原告らは、多かれ少なかれ、神経痛、関節炎、頭痛、腰痛、腹痛、肩凝り、不眠症、食欲不振、喘息、風邪、喉が悪い等の健康被害に悩まされるようになつたこと。

4  原告らは、右被害に対し、土間、庭にコンクリートを流したり、建物を補修する等の対策を講じたこと。

5  被告は、湿潤化による建物被害について

原告らと補償契約を締結するため、次のとおり補償査定をしたこと。

(一)  原告江藤収(江藤宅) 金一九万〇、〇六八円

(二)  同楢原重松(楢原宅) 金三九万六、六七九円

(三)  同大庭惠喜男(大庭宅) 金一六万一、〇一五円

(四)  同白橋勝(白橋宅) 金一六万一、〇一五円

(五)  同有田榮(榮宅) 金一六万一、〇一五円

(六)  同有田綾子(綾子宅) 金一六万七、八八七円

(七)  同柴田治雄(柴田宅) 金 九万三、一二九円

(八)  同山本健治(山本宅) 金二一万〇、一九五円

三本件湿潤化の原因について

原告らは、本件湿潤化の原因は、本件嵩上げに伴い本件貯水池から漏水したことによるものである旨主張するのに対し、被告は原告らが井戸を使用しなくなつたこと、使用水道水が地下浸透したこと等が原因であり、本件の嵩上げと湿潤化は無関係である旨抗争するので、以下検討する。

前記争いのない事実及び認定事実、〈証拠〉を総合すると、次の1ないし9の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  原告ら宅は本件貯水池の南側に位置し、本件貯水池からの距離は遠くても一五〇メートル前後であり、本件貯水池から原告ら居住地域に南下するに従い、標高は低くなつていること。

2  原告ら居住地域は、もともと乾燥気味の土地であり、生活用水の井戸水も不足し、洗濯等は川を利用していたこと。

3  本件貯水池設置後、原告ら居住地域に湿潤傾向がみられ、農作業(稲作)に影響がでたので、被告は、昭和三二年暗渠を設置したこと。

4  本件嵩上げ後、湿潤化がより顕著となり、本件湿潤化現象が発生したこと。

5  被告は、原告らの苦情に対処して、昭和五〇年、本件貯水池と原告ら居住地域を遮断するようにU型側溝を設置し、昭和五二年から翌年にかけて、さらに一定距離を置いてU型側溝、集水管、導水管を設置して浸出する水を川へ排水する排水工事を施工したが、右排水工事後、原告ら居住地域の湿潤化現象は消失したこと。

6  本件貯水池の形式はフイルダムかつアースダムであるところ、水の浸透は堤体部、基礎、地山部、袖部に分類でき、一般に、堤体部以外の部分の浸透量が多く、袖部においては地山部を通して貯水池から下流に向う迂回浸透〔コア背部(地山)を通しコア直下流に浸出する流れ〕が起こること。

7  本件嵩上げにより満水位は三メートル上昇し、一平方メートル当たり三トンもの水圧が増大し、それだけ浸透圧が増大したこと。

8  被告は、本件嵩上げ工事の施工に当り、グラウト工法による地下浸透水の防止工事をなしたが、グラウト工法は砂、砂利等の非粘土性土や亀裂ある岩盤又は軟弱地盤に各種の流動性材料を圧力注入して地盤を改良する工法であり、その目的は(一)岩、地盤の止水、(二)岩、地盤に対する強さの付与或いは圧縮性の低減、(三)変状防止であり、貯水池の工事としては、土質の安定をはかるだけでなく、止水の効果をあげるためには、グラウト工法による施工が最適とされており、現在各地のダム建設において遮水方法として広く用いられているけれども、元来注入場所が地下であることもあつて真にそれが必要かどうかを正しく判定することが困難であるばかりか、その結果が成功したか否かを判定することは正しい判定以上に困難であること。例えば、全間隙の完全な充填を確かめるようなことはあまり期待できないこと。

9  被告は、本件貯水池の漏水の有無を確認するため次のとおりの調査をしたこと。

(一)  井戸回復試験

井戸回復試験とは、地下水の涵養状態や地下周辺地層の透水性を調べるための揚水試験の一方法であり、井戸を空にして湧水により元の水位まで回復する間の一時間当りの速さ(井戸回復速度)を比較調査するものである。

調査対象は香山商店の井戸(本件貯水池からの距離五〇メートル、井戸底の標高は本件貯水池の満水位より高い。)、大庭宅、白橋宅、楢原宅である。

調査結果は別表1、別図1のとおりであり、大庭宅、白橋宅、楢原宅の各井戸は香山商店の井戸に比し、井戸回復速度が遅く、井戸周辺の地下水の涵養状態が劣つている。

(二)  本件貯水池の水位と井戸の水位の比較

調査結果は別図2のとおりであり、本件貯水池の水位と旧観測孔No.3、大庭宅、柴田宅、綾子宅の各井戸の水位の間には相関関係がない。

(三)  水質調査

調査結果は別表2、別図3のとおりであり、本件貯水池水と大庭宅、楢原宅、白橋宅、綾子宅、染田宅の各井戸水とは水質を異にし、右各井戸水は下水の水質と酷似している。

(四)  水道使用と地下水位上昇の比較

原告ら宅の水道開栓日、使用量は別表3のとおりであり、原告らの水道使用開始時期と本件湿潤化の顕著化が時期を同じくし、原告ら居住地域の排水路は、簡単な素堀ママり側溝である。

右1ないし7に認定の事実、就中、本件嵩上げと本件湿潤化の、各時期的関係及びその規模、態様に鑑みれば、本件湿潤化の原因は、専ら、本件嵩上げに伴う貯水池からの漏水にあると推認するのが相当である。

被告において、本件湿潤化と本件嵩上げの無関係の一証左として、本件嵩上げ工事に伴い最新の止水工事であるグラウト工法を実施した旨強調するが、グラウト工法の地下浸透水に対する止水効果の絶対性については、その工事の性質上、なお多大の疑問を挿む余地があることは右8に指摘したとおりであつて、本件嵩上げと本件湿潤化の因果関係を否定する合理的な根拠とは認めがたいし、更にまた、右9に認定の各種調査結果についても、一応被告の主張に符合するごとくであるが、以下に述べる理由により、いずれも本件嵩上げと本件湿潤化の因果関係の存在を推認するについて、これを覆すに足るべきものとは認めがたいのである。即ち、

(一)  井戸回復試験

先の認定のとおり、原告ら宅(一部)の井戸は本件貯水池水と関係がないと考えられる香山商店の井戸に比較し、井戸回復速度が遅く、井戸周辺の地下水の涵養状態も劣つているところ、被告は、本件湿潤化が発生するほど本件貯水池から漏水があるとすると、浸透圧によつて井戸回復速度は他地域の井戸と比較して当然速くなるはずである旨主張して本件貯水池の漏水を否定するのであるが、原告らの井戸と香山商店の井戸の従前の地下水の涵養状態及び水脈が同一という保証を欠く点において右前提主張自体が失当である。例えば、被告の主張に従つて、本件貯水池水と全く関係がないと考えられる北海道の井戸と原告ら宅の井戸の各回復試験結果の比較をしても、本件貯水池の漏水の有無判定につきさしたる意味を持ちえないことと同様であり当該井戸回復試験結果は本件貯水池からの漏水の有無を判定する決め手とすることはできない。

(二)  本件貯水池の水位と井戸の水位の比較

被告は、本件湿潤化が本件貯水池の漏水によるものであれば、本件貯水池の水位が上昇するとともに浸透力が増大するので、当然原告らの井戸の水位は上昇し、本件貯水池の水位が下降すれば、浸透力は減少するので、原告らの井戸の水位も下降するはずである旨主張して本件貯水池の漏水を否定する。

確かに被告の右前提主張はそのとおり間違いなく、本件貯水池の水位と原告ら宅(一部)の井戸の水位には相関関係がないことは先の認定のとおりであるが、当該調査結果自体、井戸の使用量及び排水量についての考察を欠く調査である点において、なお完全な調査資料とは認めがたいということができる。

(三)  水質調査

被告は、本件貯水池から漏水しているのであれば本件貯水池水と原告らの井戸水の水質は近似するはずである旨主張して本件貯水池の漏水を否定し、本件湿潤化の真の原因は下水にある等主張し、先の認定のとおり、原告ら宅(一部)の井戸水は本件貯水池水と水質を異にし、下水の水質と酷似していることは右主張のとおりである。

しかしながら、井戸水の水質は本件貯水池水のみならず地質、下水、降雨、その他複雑多岐な客観的条件に影響されるものであるから右両者の水質が違うこと或は井戸水と下水の水質が酷似していることをもつて本件貯水池の漏水と原告ら方井戸水が無関係であることの決定的証拠とすることは相当でなく、この点の被告の主張も採用することができない。

(四)  水道使用と地下水位上昇の比較

被告は、原告らの井戸水の不使用と使用水道水の排水により本件湿潤化が発生した旨主張し、原告らの水道使用開始時期と本件湿潤化の顕著化が大要時期を同じくすること及び原告ら居住地域の排水路は、簡単な素堀ママり側溝であることは先に認定のとおりであるが同時にまた本件全証拠によるも原告らが井戸水を使用していないことの証拠はないこと及び右主張事実と本件貯水池の漏水とが両立し得ない関係でないことに照らせば、この点の被告の主張も充分の説得力を持つものとはいいがたく、失当である。

右の次第にて、被告の各種調査結果は、事の性質上それ相当の意味を有しないものではないが、各種調査結果を全体として総合評価しても、なお先に推認した本件嵩上げによる貯水池からの漏水と本件湿潤化の因果関係の存在を覆して、その不存在を認めるに足るべきものとはいいがたく、他に先の認定を左右すべき証拠はない。

四したがつて、被告には、本件貯水池の設置管理につき瑕疵があつたものといわなければならないから、被告は国家賠償法二条一項により本件湿潤化により生じた損害を賠償すべき義務がある。

五損害について

1  慰藉料

以上に認定した事実に基づき、本件湿潤化により原告らが被つた精神的苦痛を金銭によつて評価する(建物被害については各世帯別に代表者と目すべき原告江藤収、同楢原重松、同大庭恵喜男、同白橋勝、同有田榮、同有田綾子、同柴田治雄、同山本健治について考慮する。)に、各原告らの健康被害について一般的抽象的には先に認定したとおりであるが、個別的具体的には本件全証拠によるも本件湿潤化との因果関係を明らかにすべき立証が不充分であるところ、元来損害算定は慰藉料についても個別的具体的に算定すべきものであるから、その立証が必ずしも充分でないという意味において控え目に各原告一人につき金一〇万円をもつて相当慰藉料額と認め、建物被害について慰藉料の斟酌を考慮さるべき原告ら八名につき、被告の前示補償査定額に準じた金額を加算して相当慰藉料額を算出すれば、各原告らの慰藉料は、別紙認容額表慰藉料欄記載のとおりとなる。

2  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らが本件訴訟を原告ら代理人らに委任し、福岡県弁護士会弁護士報酬規定の範囲内である別紙請求額表弁護士費用欄記載の各金員を支払う旨約したことが認められ、本件事案の内容、認定額等諸般の事情に鑑み、本件湿潤化による損害として原告らが被告に賠償を求め得べき弁護士費用相当額は別紙認容額表弁護士費用欄記載の各金員をもつて相当と考える。

六結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、別紙認容額表合計欄記載の各金員と、これらに対する右損害発生後である昭和五三年六月八日から各支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、被告申立にかかる仮執行免脱の宣言は相当でないのでこれを付さず、主文のとおり判決する。

(鍋山健 渡邉安一 渡邉了造)

原告氏名

慰藉料

弁護士費用

合計

(1) 江藤収

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(2) 江藤八重子

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(3) 江藤世志恵

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(4) 江藤智恵美

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(5) 楢原重松

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(6) 楢原シヅエ

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(7) 楢原章三

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(8) 楢原渉

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(9) 大庭シズ

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(10) 大庭惠喜男

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(11) 大庭美保子

八五万円

八万円

九三万円

(12) 大庭正義

八〇万円

八万円

八八万円

(13) 大庭昭

七〇万円

七万円

七七万円

(14) 白橋勝

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(15) 白橋セツコ

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(16) 白橋郁昭

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(17) 白橋穂積

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(18) 有田榮

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(19) 有田トミ子

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(20) 矢羽田千寿美

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(21) 有田栄子

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(22) 有田英二

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(23) 有田綾子

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(24) 有田洋道

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(25) 有田清美

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(26) 柴田ヒノエ

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(27) 柴田治雄

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(28) 柴田タミ子

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(29) 柴田美恵

九五万円

九万円

一〇四万円

(30) 柴田加代子

八五万円

八万円

九三万円

(31) 柴田理治

六五万円

六万円

七一万円

(32) 山本健治

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(33) 山本艶子

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(34) 浜田恵子

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

(35) 山本俊昭

一〇〇万円

一〇万円

一一〇万円

認容額表

原告氏名

慰藉料

弁護士費用

合計

(1) 江藤収

三〇万円

三万円

三三万円

(2) 江藤八重子

一〇万円

一万円

一一万円

(3) 江藤世志恵

一〇万円

一万円

一一万円

(4) 江藤智恵美

一〇万円

一万円

一一万円

(5) 楢原重松

五〇万円

五万円

五五万円

(6) 楢原シヅエ

一〇万円

一万円

一一万円

(7) 楢原章三

一〇万円

一万円

一一万円

(8) 楢原渉

一一〇万円

一万円

一一万円

(9) 大庭シズ

一〇万円

一万円

一一万円

(10) 大庭惠喜男

二五万円

二万五、〇〇〇円

二七万五、〇〇〇円

(11) 大庭美保子

一〇万円

一万円

一一万円

(12) 大庭正義

一〇万円

一万円

一一万円

(13) 大庭昭

一〇万円

一万円

一一万円

(14) 白橋勝

二五万円

二万五、〇〇〇円

二七万五、〇〇〇円

(15) 白橋セツコ

一〇万円

一万円

一一万円

(16) 白橋郁昭

一〇万円

一万円

一一万円

(17) 白橋穂積

一〇万円

一万円

一一万円

(18) 有田榮

二五万円

二万五、〇〇〇円

二七万五、〇〇〇円

(19) 有田トミ子

一〇万円

一万円

一一万円

(20) 矢羽田千寿美

一〇万円

一万円

一一万円

(21) 有田栄子

一〇万円

一万円

一一万円

(22) 有田英二

一〇万円

一万円

一一万円

(23) 有田綾子

二五万円

二万五、〇〇〇円

二七万五、〇〇〇円

(24) 有田洋道

一〇万円

一万円

一一万円

(25) 有田清美

一〇万円

一万円

一一万円

(26) 柴田ヒノエ

一〇万円

一万円

一一万円

(27) 柴田治雄

二〇万円

二万円

二二万円

(28) 柴田タミ子

一〇万円

一万円

一一万円

(29) 柴田美恵

一〇万円

一万円

一一万円

(30) 柴田加代子

一〇万円

一万円

一一万円

(31) 柴田理治

一〇万円

一万円

一一万円

(32) 山本健治

三〇万円

三万円

三三万円

(33) 山本艶子

一〇万円

一万円

一一万円

(34) 浜田恵子

一〇万円

一万円

一一万円

(35) 山本俊昭

一〇万円

一万円

一一万円

〈別紙〉

図―1 井戸回復試験結果〈省略〉

図―2 降水量・貯水池水位・井戸水位〈省略〉

図―3 水質試験図〈省略〉

表―一 井戸の平均回復速度勾配〈省略〉

表―二 水質試験表〈省略〉

表―三 水道開栓及び使用量〈省略〉

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